今朝は遅めの起床となってしまいました. 布団から跳ね起きて,急いで朝の準備を済ませてから10分ヨガのみでシャワーを浴びて出勤. 明日も朝から仕事が入っており,おそらくヨガのみとなるでしょう.
ただし好材料はありまして,頭痛は治った上に空腹で眠ることができました. 今晩は都合により早めに帰宅するので,このあたりで生活リズムを整えたいところです.
以前に細川政元の養子問題について書きましたが,今回は細川高国の養子問題です. 以下は私の妄想であり,資料的根拠なんてありませんのであしからず.
高国の後継者として,細川晴国と細川氏綱の二人が挙げられます. Wikipediaにおける両者の項目を見ると,氏綱は高国の養子であった一方,晴国はそうでなかったようです. それでは氏綱の方が後継者として優位だったかというと,むしろ晴国の方が優位だったのではという気もします.
- 氏綱と晴国は同時に元服したとされており,若い晴国の方が立場が上と見られていたのでは(両者同格だとすれば同じ年齢で元服させそう)
- 元服当初の名前は「清」と「晴国」であり,なんとなく後者の方が後継者っぽい
どうも両者はかなり微妙な関係だったようで,晴国挙兵において氏綱が加わらなかったという影響を及ぼしています.
要は高国は養子というか後継者問題に失敗しているのですね. 政元の養子問題を近くで見ており,政元より養子を選ぶ自由度が高そうなのにも関わらずです. 養子同士で戦にならなかっただけマシとはいえこれはいただけません.
高国は几帳面な性格っぽいから後継者継承順をきっちり決めていそうなのに,なぜ曖昧にしていたのか? ふと理由を一つ思いつきました.
高国は細川晴元を養子にとるつもりだったのでは?
これは桂川合戦後に三好元長の和睦交渉において(おそらく高国側から)提案されています.
目的は永正の錯乱により分裂した細川京兆家を再統一することです. 足利義稙は足利義晴を養子にすることで将軍家を統一しようとした形跡があるそうですが,高国は義稙に倣ったのでしょう. 交渉決裂でもボツにならずに大物崩れへと続く上洛でもプランとして残っていたのでは?
大物崩れが起こらず高国が上京できた場合には,京兆家の晴元を野州家の晴国と典厩家の氏綱が支える体制になるのでしょう. これはエモいですね. 細川高国が大河ドラマの主人公になった際には,こんなIFストーリーがあるかもしれません.