今日は頭痛に悩まされていました. 起床直後から疲労が抜けない上に頭痛で,しばらく布団の上で耐えていました. 少しマシになったので,とりあえず10分ヨガだけ行って落ち着くまで待っていました. もう少し頭痛がマシになれば鍛えたかったのですが,その前に空腹感がやってきてタイムリミット. フラフラになりながらビーフンを作ってブランチにすることにしました.
ちなみに,本日はAppleのフィットネスアプリにて「国立公園チャレンジ」というのがありました. 20分以上のワークアウトを行うことでバッジを獲得できます. できれば筋トレで獲得したかったですが,ウォーキングで獲得しました.
明日は朝から用事が入っていますが,せめて5分筋トレでもしたいですね.
少し前に細川政元についての記事を2つ書きましたが,今回も室町時代後期についてです.
はてなブログには様々なジャンルのブログがありますが,室町時代後期の記事を書いているブログがありました.
ブランチの後でまだクラクラしている頭で読みましたが,これが素晴らしく面白い記事でした. この記事で足利義稙の行動について検討すべき疑問点を4つ挙げています.
澄元方の上洛戦の際に京都に残った義稙は高国を見捨てたのか?
右京大夫政元さんの動画では「どたんば裏切りスイッチ〜」なるひみつ道具を使っていましたね. 面白い茶番ですが,疑問に思うところがありました. 後世の足利義昭は織田信長を切り捨てますが,畿内はほとんど敵に加えて武田信玄が攻めてきたという状況です. 今回はそれに比べればかなりマシじゃね?まだまだ挽回の余地があるでしょ?
歴代の足利将軍の行動パターンを見るに,澄元側に着くよりは高国との両天秤にかけていたというのはいかにもありそう. 上記記事での「義稙は高国が戻るまで時間を稼いでいた」という解釈は義稙に好意的すぎる気はしますが,高国から見てもそういう側面はあったでしょう. だからこそ高国は義稙と再度やっていくことにしたというロジックには説得力があります.
義稙は高国の専横を嫌って出奔したのか?
この出奔って,前回と同様に高国が引き留めてくれる事を前提としてのものですよね? 後柏原天皇の即位式直前という将軍がいないと困るタイミングを選んだのは取引材料としてでしょう. 高国を取引できる相手と考えている事自体が,私は義稙が専横とまでは思っていないことの根拠になると思います. まぁ高国が一枚上手だったわけですが,義稙が出奔しなければ追い出されることはなかったでしょう.
義稙は自身の後継者をどのように考えていたのか?
「義稙は出奔以前から義晴を後継者に迎えようとした」というのは政元さんの動画でも言っていたと思います(どのシーンでかは忘れてしまいました.) ただ,この養子縁組は立ち消えになったものと思い込んでいました. 「義晴を次期将軍候補とすることは以前からの既定路線であった可能性が高い」という意見には大いに賛同します.
私は細川高国を優秀な政治家であるとともに保守的だとも思っており,義稙を切って義晴を将軍につける思い切った一手を放つのに相当な準備が必要だと思っていました. これが既定路線であるならば,準備は義稙が行ってくれたことになります. 高国は政元の養子問題を近くで見ており,養子をとることでどんな事態が生じ得るかは色々考えていたでしょう. そして,義稙は以前にも出奔したことがあります. 以上より,高国はこの時期の義稙出奔を予測していたとまでは言えないものの,十分対処できる状態だったと思います.
義稙は将軍復帰の意志を義維に託したのか?
これについてはなんとも言えないですが,遺臣たちが「堺公方」義維を擁立するのは義稙本人の望みとは言い切れないという意見に賛同します. 義稙を執念の人と思い込むのは実像から離れてしまうリスクがあります.
また,上記ブログ記事は赤松義村の再評価についても素晴らしいと思います. 後日頭痛がない状態で改めて読みたい文章ですね.